今週のお題「私の沼」

1人で下校することにはもう慣れた。沼が学校を休んで3日目になる。昼休みももちろん1人だ。1人でお弁当を食べるのをクラスメートに見られたくないから、図書館で何もしない無意味な時間を、ぬべぇ~っとやり過ごす。

大阪のおばはんみたいな、ずけずけとした彼女の一方的なアプローチから、私たちは仲良くなった。お互いに優柔不断で、お互いに日和見主義的な性格からか、どのグループにも属さず、かといってクラス中から仲間外れにされる感じでもなく、ポリシーがあってこういうスタンスをとらせていただいてますねん、名誉ある孤立ってやつでんねん、みたいなふわっとした政策で、ここまで2人でやってきたのだった。

だった。だったのだが、ここへきての無断欠席。

沼が学校を休むなんて初めてのことらしい。小中と9年間ず~っと皆勤賞で、高校も3年になるまで一度も休んだことがなかったのだ。

沼とは高校の入学式で初めて会った。それ以来、3日前からず~っと一緒なのだ。私の名字が大仁田で、沼の名字が大沼だったから、入学式の体育館で隣の椅子だった。初対面で、沼は私の名字を弄ってきた。

「大仁田っていうん?」「う、うん。そやで」「うっそ、まじで?私めっちゃファンやねん!」「え、誰の?」「お父さんに決まってるやん!あんた大仁田の娘やろ?」「え?」「だいじょうぶ、だいじょうぶ。内緒にしといてあげるから。私には分かんねん。」「え、え?」「いいから、いいから。良く似てるわ~。黒い革ジャン似合いそうなところなんか、良く似てる」

この人はとてつもなく大きな勘違いをしていると、気付いた。しかし、その矢継ぎ早な質問に、それを正してあげることが出来なかった。

あれから、約2年。そのままつい3日前まで、その勘違いを訂正してあげることが出来なかった。っていうより、まさか今の今まで信じ続けているとは思ってもいなかった。

ことのきっかけは、些細なことからだった。駅から私たちの高校への通学の近道に、もうここ1年くらい何も使っていない空き地がある。

こういう空き地って、なんであるんだろうねみたいな話だったと思う。今から考えたらバカバカしい、たわいもない話だ。そんなくだらない話がきっかけで彼女が生と死を分けるような事態になるなんて…

私の家の近所にもあったりする、なんでそのまま放置されているのか訳が分からない空き地。私の家の周りも、学校の周りも、自治体主導型の都市計画で造られた、いかにも文・教・地・区といった雰囲気の閑静な住宅街で、不動産情報サイトの所謂「住みたい街ランキング」で常にTOP20には入ってくる街。ということは、人気のある街なのだから、住宅にするなり、カフェでも建てるなり、はたまた時間貸のコインパーキングにでもするもよし。なんなりと調理法などあるはずなのに…

なんて2人で、とりとめのない話をしている時だった。

バラ線?そこは有刺鉄線いうんやないの?」「え?」

そういった空き地のほとんどが、バラ線で囲われていて、のび太たちが遊んでるみたいな、あんな土管がゴロッと転がってて、野球やったり、ラジコン飛ばしたりできる空き地だったらよかったのにね。そういう空き地って、もう日本にはないみたいだね。ほら、ちゃんと管理とかしてる公園ってわけではないからさ、何かあったときの責任の所在が難しいよね…みたいな話の途中だったと思う。

沼がキレだしたのだ。突然。

バラ線?そこは有刺鉄線いうんやないんかい?」「え?え、え?」

バラ線のくだりは、たしか随分と前のほうで喋ったと思われ、のび太の公園のくだりや、空き地の管理責任のくだりなど、私の所見をしっかり受け止めた上で、もうよい、その話はもうよいのじゃという感じで、ズバッと斬り込んできたのか、はたまた、最初のバラ線のくだりから、ずーっと沸々と怒りを溜めに溜めてから、えいやぁ~っと世に解き放ったのか…

私が沼と親友として付き合ってきたこの3年間。彼女と登下校を繰り返し、昼休みは必ず沼の席に私が移動して弁当を一緒に食べ、体育の創作ダンスでは、黒田節をヒップホップ風にアレンジし見事なまでの創作ダンスへと昇華させた私たち2人。もう、沼が考えていることなんて手にとるように解る。はず。はず、なのに…。

バラ線?バラ線?そこは有刺鉄線いうんやないんかい?あんた、大仁田の娘やろ?大仁田の娘やったら、そこは父親にちゃんと敬意を込めて有刺鉄線っていう単語を使わなあかんのちゃうん?なあ?なあ?」

「い、いや沼、私ね大仁田厚の娘ちゃうよ」

「え?」

「いや、だから大仁田って珍しい苗字やから人口も少ないかもやし、大仁田厚の娘かもって思ったかもしれんけど、ちゃうで。それに、あの人まだ独身ちゃう?」

沼は、私がそう言い終わらないうちに、ダッシュで走っていってしまった。

次の日から沼は学校にこなくなった。

私のカミングアウトが原因だったように思えるので、責任を感じており、沼の家を訪ねることに気が引けて気が引けて、もう3日目が過ぎようとしていたのだが、さすがにこれ以上たずねないというのは親友としてあり得ないと思い、訪ねた。だが、彼女はもう、家にはいなかった…

「盲腸?」

「そうやねん、あの時きゅうにお腹が痛なって、もしかしてウンコ出てきたらどうしようっ思てダッシュで駅のトイレまで猛ダッシュしてん。でもウンコ出えへんし、めっちゃお腹が痛みだしたから、おかんに電話して、そんで気絶して起きたら病院で、今も入院中っていう…」

「私が本当は大仁田厚の娘じゃないって知ってショックで学校を退学したんじゃないかって思って…」

「は?なんでやねん!そんなわけあるかいな!ネタやん、ネタ!弄ってるだけやん、ホンマまじめやな~、ニタ」

「・・・。」

「あれ?な、なに、なに?ちょっと、なんで泣いてんの?」

はぁ。よかった。おかえりなさい、私の沼。